フェルメール『真珠の耳飾りの少女』のモデルは娘か処刑人か?

日本で知名度がある作品の一つにフェルメールが描いた『真珠の耳飾りの少女』があります!

『真珠の耳飾りの少女』は広告媒体でも定期的に使われおり目にする機会が多い絵画の一つ!!

この記事ではそんなフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』のモデルの少女について噂されていることをまとめました!!

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』のモデルは誰?

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)はオランダの画家でバロック絵画を代表する一人です。

フェルメールが描いたとされる作品は実はかなり少なく現存するものが33~36点他に記録として残っているものが10点ほどあるようです。(※諸説あり)

フェルメールはかなり寡作だったと言われており年に2、3点しか描いていないと言われています。

理由として推測されているのは…

  • フェルメールは商業画家であり依頼がなければ作品を描かない
  • 1655年からフェルメールは実家の事業であるパブ・宿屋の経営も行っており多忙。
  • フェルメールの妻カタリーナ・ボルネスの母親であるマーリア・ティンスが裕福であり資金をバックアップしてもらうことができた、またオランダ・デルフトの醸造業者であり投資家でもあったピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンがパトロンだっため数をこなす必要がなかった。

そんな生涯の作品点数が少ないフェルメールですが最も有名とも言われているのが…

『真珠の耳飾りの少女』

オランダ・デン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館に所蔵されているフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』

フェルメールは『真珠の耳飾りの少女』を33歳か34歳となる1665年か1666年に描いたとされています。

『真珠の耳飾りの少女』のタイトルは他にも「青いターバンの少女」、「ターバンを巻いた少女」などとも言われています。

また『真珠の耳飾りの少女』は口元にかすかな微笑みがあることから『北のモナ・リザ』、『オランダのモナ・リザ』とも称されています。

フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』で最も話題となるのがモデルをした人物は一体誰なのか?

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』のモデルは『少女』の娘??

フェルメールの描いた『真珠の耳飾りの少女』のモデルは一説にはフェルメールの娘であるマーリアではないか?またフェルメールが雇っていた召使いの少女ではないか??他にもフェルメールの妻カタリーナ・ボルネス、恋人(愛人)?など諸説が数多くあります。

そもそもターバンを巻くと言う習慣が当時のオランダの若い女性にはなかったので、モデルはおらずフェルメールの想像上の女性だも言われているようです。

これは当時ヨーロッパで大きく勢力を拡大していたオスマン帝国(トルコ)の文化が影響しているのではないか?と言われています。

『真珠の耳飾りの少女』の特徴となる頭に巻いているターバンですがオランダ人が普段から巻いているものではないので、フェルメールの描いた『真珠の耳飾りの少女』は肖像画ではなくトローニーではないか?と言われいます。

トロ―二ーとは…特定の人物をモデルにして描く肖像画ではなく創作された肖像画

フェルメールは同じような時期に似た構図の作品を描いています。それが…

『少女』

この『少女』トロ―二ーではなくフェルメールの娘を実際にモデルに描いたのでは?とも言われています。制作時期も1665年から1667年頃と『真珠の耳飾りの少女』を描いたとされる時期と被っており…

①自分の娘をモデルにした『少女』を描き構成などをテスト

②『少女』の作品は踏まえて『真珠の耳飾りの少女』を創作(トロ―二ー)

上記のような制作の流れだったとする推測もあるようです。

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』のモデルとなった作品がある??モデルは処刑人???

またフェルメールは『真珠の首飾りの少女』や『少女』の作品は影響を受けた作品があると言われています。それが…

『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』

『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』イタリアの画家グイド・レーニ(Guido Reni※1575-1642)が描いた作品です。

『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』のモデルとなっているベアトリーチェ・チェンチ(Beatrice Cenci)はイタリアの貴族の娘で1598年にイタリアで実際に起きた事件

ベアトリーチェ・チェンチと母、兄弟は父親であるフランチェスコ・チェンチに性的虐待を受けており、耐えかねたベアトリーチェ・チェンチと家族と召使いは父フランチェスコ・チェンチを殺害。裁判の末、1599年にベアトリーチェ・チェンチは斬首刑となりました。

『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』ベアトリーチェ・チェンチが髪をまとっている白い巻物は、処刑人の剣に髪が巻き付かないようにするためだと言われています。

この事件はイタリアでは大変有名な事件であり悲劇的なことから文学や芸術の作品でよく題材となっています。

イタリアの画家グイド・レーニが描いた『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』ベアトリーチェ・チェンチが処刑となる前夜に描いたと言われています。

確かにフェルメールの『真珠の首飾りの少女』とグイド・レーニの『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』ベアトリーチェ・チェンチが処刑となる前夜に描いたと言われて』は構図やターバンを巻いているなど似た要素が多いです。

しかし、フェルメールはオランダ・デルフトから生涯出ていないとも言われておりイタリアのグイド・レーニの『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』を見る機会はなかったのではないか?とも言われています。

フェルメールの『真珠の首飾りの少女』はまだまだ謎が多く…

  • 『真珠の首飾りの少女』には「IVMeer」(※Meerはフェルメールのサイン)という署名があるが、日付がないため制作時期がはっきりしていない(※1665年か1666年という説が強い)
  • フェルメールが『真珠の首飾りの少女』を描くことになった経緯が一切不明。

フェルメールについては未だに学者の間で熱心に研究されているようなので今後の展開に期待したいですね!!

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)

  • 本名:ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft)
  • 生誕から死没:1632年10月31日(※諸説あり)-1675年12月15日(※諸説あり)(43歳没)
  • 国籍:オランダ(ネーデルランド連邦共和国デルフト)
  • 時代:オランダ黄金時代
  • 絵画様式:バロック絵画

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