岡本太郎の妻は養子??結婚しなかったのは遺産相続問題??

『太陽の塔』、『明日の神話』、『芸術は爆発だ!』など日本人ならば誰もが知っている芸術家・岡本太郎

岡本太郎には長年連れ添ったがいましたが実は結婚していないことでも有名です。

岡本太郎が妻と結婚しなかった理由とは!?

岡本太郎の妻は養子??

岡本太郎には妻・岡本敏子がいます。

しかし、岡本太郎と岡本敏子は結婚していなかったようです。

では、二人はどのような関係だったのでしょうか??

実は妻・岡本敏子は岡本太郎の…

養子(養女)

つまり岡本太郎の子供ということになります。

岡本太郎が結婚をしなかった原因は実の母親である岡本かの子に理由があると言われています。

岡本太郎の母親・岡本かの子とはどのような人だったのでしょうか?

岡本太郎の母親・岡本かの子はどんな人?

岡本太郎の母親・岡本かの子は1889年に神奈川県橘樹郡高津村二子(※現在の川崎市高津区)で生まれています。

岡本かの子小説家であり代表作としては『母子叙情』、『老妓抄』、『生々流転』などがあります。また歌人でもあり仏教研究家としても活動をしていました。

岡本かの子の実家は幕府や諸藩を取引相手としていた豪商の大貫家(※大貫は岡本かの子さんの旧姓)であり、神奈川県橘樹郡高津村二子(※現在の川崎市高津区)の大地主つまりはお嬢様でした

お嬢様育ちであった岡本かの子は家事はもちろんながら息子の岡本太郎の子育てもまったくできなかったようです。

岡本太郎の結婚観に最も大きな影響を与えたと言われるのが岡本かの子の恋愛観

岡本かの子は自身を敬愛する早稲田大学生・堀切茂雄を旦那・岡本一平の了承の元、一緒に住まわせていました。つまりは岡本太郎の家には愛人が住んでいたのです。

また岡本太郎の父・岡本一平が1930年から朝日新聞の特派員としてロンドン海軍軍縮会議の取材に行く際に、岡本太郎と岡本かの子に加え岡本かの子の愛人である青年を二人一緒に連れて行ったことも有名です。

岡本太郎は母・岡本かの子に関して『母親としては最低の人だった。』と語っています。

岡本かの子(おかもと かのこ)プロフィール

  • 旧姓:大貫カノ
  • 生誕から死没:1889年3月1日-1939年2月18日(49歳没)
  • 出身地:東京府東京市赤坂区青山南町(現東京都港区)

岡本太郎の父・岡本一平は放蕩者?

妻・岡本かの子の愛人を一緒に住まわせることを了承した岡本太郎の父・岡本一平とはどのような人物だったのでしょうか?

岡本一平は実は漫画家です。

岡本一平は東京美術学校西洋画撰科(※現在の東京藝術大学)を卒業後は帝国劇場の舞台美術の仕事をしており、後にあの夏目漱石から漫画の素質を買われ朝日新聞社に入社しています。

岡本一平は『現代マンガの父』とも言われており、手塚治虫は子供の頃に岡本一平の「一平全集」に影響を受けたことを明かしています。

岡本一平は大正末期から漫画家として一時代を築くほどの評価を受けていたようですが私生活はお金使いはとても荒く放蕩者だったようです。

妻・岡本かの子が愛人を住まわせていたことも岡本一平自身の私生活に負い目があったためだとも言われています。

岡本太郎は放蕩者の父、愛人を住まわせる母、そして愛人と一緒に暮らす奇妙な生活をしていたため結婚というものに嫌悪感があったのかもしれません。

岡本一平(おかもと いっぺい)プロフィール

  • 生誕から死没:1886年6月11日-1948年10月11日(62歳没)
  • 出身地:北海道函館区汐見町

岡本太郎はなぜ妻・岡本敏子を養子にしたのか?遺産の相続権が理由だった??

岡本太郎の結婚観は両親の影響を受け否定的でしたが岡本太郎自身の恋愛観はどうだったのでしょうか??

岡本太郎自身は恋愛が嫌いだったということはなく1930年から10年間住んでいたパリ時代には10回以上も同棲していたことを明かしています。

岡本太郎は日本では同棲=結婚であり、同棲を解消する=離婚という手続き上の煩わしさも嫌だったとしています。

フランスでは現在(2020年)結婚や家族の在り方が多様化していますが岡本太郎がパリにいた時代でも日本よりはずっと自由だったのかもしれません。

岡本太郎と妻であり養子の岡本敏子は1948年頃に平野敏子(※後の岡本敏子)と出会い当初は秘書、パートナーという形で一緒にいたようです。

岡本太郎が結婚という形をあくまでも嫌っていたため岡本太郎は最終的には平野敏子を養子(養女)として自分の戸籍に入れました

岡本太郎が平野敏子を養子(養女)とした理由については様々推測されたようで、中には『海外に賓客としてもてなされた際に秘書である平野敏子には席がなかったため』という説もあります。

また2011年6月24日に放送されたNHK・BSプレミアム『太郎と敏子〜瀬戸内寂聴が語る究極の愛〜』で、岡本太郎や妻・岡本敏子と親交があった瀬戸内寂聴が明かしています。

  • 婚姻という形を取らなかったのか?:岡本太郎は両親を見て結婚に嫌悪感を持っていた。
  • 養子(養女)にしたのは相続権などで都合が良い事があったから?:妻・岡本敏子に遺産を全て相続させるため。(※当時の遺産相続において子供がいない場合の妻の取り分は1/2であり残りは親族。)

岡本太郎は自身の作品を売らずに全て妻・岡本敏子に管理してほしいと考えていたようです。そのため、遺産相続が1/2になってしまう「妻」ではなく、100%相続できる「子供」となる「養女(養子)」にしたとされています。

妻の岡本敏子は岡本太郎の意思を継いで岡本太郎のアトリエを改修し1998年に岡本太郎記念館を開館させて岡本敏子自身が館長を務めていました。

岡本敏子(おかもと としこ)プロフィール

  • 旧姓:平野敏子
  • 生年月日:1926年1月1日-2005年4月20日(79歳没)
  • 出身地:千葉県

岡本太郎(おかもと たろう)プロフィール

  • 生年月日:1911年2月26日-1996年1月7日(84歳没)
  • 出身地:神奈川県川崎市高津区二子
  • 血液型:O型

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